特定非営利活動法人 障害者自立支援センター「葦の舟」
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葦の舟とは
 

理事長ご挨拶

 
事業活動理念にあるように、障害者を始めとする社会に生きるすべての人たち誰もが、当たり前に暮らしやすく生きやすい地域社会を目指して、当法人「葦の舟」は活動しています。その傘下にある(といっても法人内には一つしかありませんが)事業所「葦の舟」は居宅・訪問介護の事業所として、日々ヘルパーさんに働いてもらい、地域で暮らす利用者様である障害者の介助・介護をさせてもらっています。私自身も障害者であり、ヘルパーさんに来てもらいながらの生活をいつも送っております。
このホームページを活用し、広く皆様に障害者に関する情報や事業所関連の情報を提供できればと思っております。
代表 片岡 博
特定非営利活動法人
障害者自立支援センター 葦の舟
代表 片岡 博
 

事業の目的

 
障害者・高齢者様の生活を支援し、家庭・地域でのあなたらしいライフスタイルをサポートします。
外観
 

活動理念

 
 当法人は、社会の発展のために、貢献します。
社会の発展した姿とは障害者など、一部の人を排除すること無く、誰もが、地域の中で、つながり合い、共存し合いながら、幸せに暮らせる社会です。
当法人は、事業活動を通して、そういった社会の実現を目指します。
 

沿革

 
 当法人の沿革を語るときに、どうしても欠かせないのが、滋賀青い芝の会の存在です。県内に滋賀青い芝の会が発足したのが1985年のことでした。青い芝の会というのは、脳性マヒ者のみの、全国組織もある、障害者の自立と解放を目指している団体です。全国的な活動や地域での活動を展開していました。
 役員は一人暮らしの者が多く、当時はヘルパー制度が全く無きに近い状態で、介助者を自分たちの手で見つけていました。近所の人もいましたが、やはり力があり行動力と時間がある若い学生が多かったのです。街中でビラをまいたり、大学の入学式の時にビラをまいたりしながら、介助者を集めていました。日々の介護の中では、分け隔てられた中で生きてきた健全者の障害者に対する見方・感覚を変えることを運動の一環として捉え、生活をしていました。毎日毎日の必要なだけの介助者はなかなか確保できず、3日間介助者がいなく、家に居たこともありました。
 そのような生活の中、役員の1人が寝たきり状態になり、介助者不足が深刻化し、滋賀青い芝の会が呼びかけ団体となり、できた障害者解放センターで職員を雇い、介助を手伝ってもらうことになりましたが、寝返りができず、徐々にではありましたが、ジョクソウが悪化し、何回も手術を繰り返すという状態にまでなっておられたのです。それで、ついに施設へという決断をされ、入所されました。しかし残念ながら2002年2月に亡くなってしまわれました。
 こうした経緯の中、2003年4月から、障害者の支援費制度が始まるという情報を得、「自分たちの介護者は自分たちで見つけたい。だから事業所を立ち上げたい。」という役員一人の意見から、他の役員2人も「協力していこう」ということになり、事業所設立に向けての準備に入りました。そして2002年5月29日に当法人の登記が完了し、法人の誕生となったのです。ですから、この時の理事は滋賀青い芝の会の役員である脳性マヒの障害者3人でした。法人の名称は「リリースサポートセンター」といいました。(後に変更)そして2003年4月1日から障害者の支援費制度のスタートと同時に事業所『障害者自立支援センター「葦の舟」』の運営を開始しました。職員は常勤3人パート1人という小規模のものでした。
 しかし、事業活動理念は現在のものと内容は変わらず、どのような状態の障害者であろうとも、地域であたりまえの主体的な自立した生活を送ることができる地域社会を目指すこと、そのような社会は決して障害者のためだけではなく、様々な人たち、誰もが暮らしやすい社会であり、社会をより良くしていくために貢献していくという目的を明確に作りました。
 この時は理事を含めた数人の利用者で、滋賀青い芝の会の身内だけの介護支援といった状態でしたが、彦根市や県からの強い要請や地域の方々のご利用の希望も多くなってきましたので、他の事業所も少ない状況もあり、外の利用者様も受け入れる方向に切り替え、徐々に利用者様も増えていき、ヘルパーさんもそれと相まって増やしていきました。そうしてかれこれ10年が経ち、現在に至っています。
 
 
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